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 夢を見ていた。昔の・・・心の奥底に封印した記憶だ。
 和斗が電話をしている。俺はそれを盗聴しているのだ。 
 その頃は、まだ和斗に面倒を見てもらっていた時だ。
 週の殆どを俺と一緒に過ごすあいつが、月に何度か泊りがけで居なくなる時があった。
 最初は奴の個人的な仕事かと思っていたが、どうも違う気がする。
 好奇心には勝てなかったのだ。
 俺の感通り、相手は女だった。それもかなり若い。
 てっきり年上好みかと思っていたものだから、その声の若さに戸惑いを覚えたほどだ。
『もしもし』
 不機嫌そうな和斗の声がする。
『ごめんなさい。あたしです』
 申し訳なさそうな声を聞いた瞬間、和斗の息を呑む気配が伝わった。
『ここには掛けてくるなっていっただろ』
『ごめんなさい。どうしても話がしたくって・・・』
『何かあったのか?』
 和斗の気遣わしげな声に、彼女の声音が一段と下がる。
『また、あの部屋かりてもいい?』
『何があったんだ?』
『もう、限界かもしれない』
 その声の暗さに、和斗の口調にあせりがみえた。
 俺ですらぞっとしたくらいだ。
 まるで、今すぐにでも自殺しそうな雰囲気である。
『今から直ぐそっちに行く。場所はいつものところでいいな』
『わかった』
『3分後に、もう一度携帯に掛けなおしてくれ』
 和斗はそういうと、一方的に電話を切った。

『僚!!ちょっとでかけてくる』
 俺の名を呼びながら部屋に入ってきた和斗は、何時もと変わらぬ表情を浮かべていた。
『こんな時間にか?』
 俺はそういいながら、時計を見た。時刻はすでに真夜中といっていい。
『ちょっと、今抱えている依頼が早まりそうなんでな』
 その言葉を聞いて、俺はがっかりした。
 結局、俺が気体していた彼女はただの依頼人であって、俺が想像していたものではなかったのだ。
 まぁ今の俺なら、あの電話の会話が、依頼人と話をするような会話ではなかったことに気がついただろう。
 あの頃の俺には、奥深い男女の機微というものがわからなかったのだ。
 まだ、子供だったんだよ。俺も。
 
(何で今頃になってこんな記憶が・・・)
 俺は目覚めの悪さを感じながら、ボンヤリと見慣れない部屋を見渡した。
「起きたか」
 和斗の静かな声音に、俺は眉をしかめた。
「・・・覚えてないのか?」
 和斗はどこかよそよそしくというより、恐る恐るといった感じで聞いてきた。
 そんな和斗の様子に、僚は考え込んだ。
 ふと、目の前の空になったコーヒーカップに目がいった。
「あ〜!!」
 僚は目の前のコーヒーカップを指差した。
 何で、自分がこんな所で寝ていたのか理解したのだ。

「少し話しがあるんだが・・・」
 遠慮がちに部屋に入ってきた僚を、和斗は何も言わずに通した。
 ここに来るからには、それなりの結論を出したのだろう。
 和斗は何度も口を開きかけては閉じる僚を辛抱強く見守っていた。
「悪い、このコーヒー貰うぞ」
 そう言って、冷めたコーヒーを一気に飲み干した僚を見て、和斗が慌てて止めた。

「思い出した・・・うかつだった。何でここに冷めかけのコーヒーが手付かずで残ってたのか考えるべきだった・・・お前が手をつけてないってことは・・・教授が淹れたのか?」
 ぶつぶつと呟いている僚を、和斗が同情的な目で見る。
「ピンポン。大正解」
「なぁ、変な副作用とか何にもないよな」
 不安気に尋ねる僚から、和斗が視線をそらす。
「頼むから、何もないって言ってくれ!!」
 必死に訴えかける僚に、和斗もいまいち自信無く答える。
「とりあえず・・・眠ってただけだから、強力な睡眠薬じゃないのか・・・?」
「2,3日後とかに、訳の分からん行動はとらないよな・・・」
「教授が作った薬だからな・・・」
「だ〜!!俺が一体何をしたっていうんだ!!」
 頭を掻きむしる僚に、和斗がため息を吐きつつ言う。
「何もしなくっても、面白いからって理由だけで人を実験台にする人だぞ」
「・・・俺も今、それを思いだした。って、話が違う方向に言ってる!」
「そういえば、お前何しにきたんだ?」
 和斗が訝しげに僚に聞いた。
「いや、じつはだな・・・改めて香の治療を頼みたいと思ってだな・・・」
 僚は、恥ずかしそうに顔を赤く染めてそっぽを向く。
「わかった」
 あっさりと返答した和斗を、僚が呆然とした顔で見る。
「何だ?」
「いや、そんなあっさりと・・・」
「治療を頼まれて断る医者はいないだろ?」
「・・・断られても困るが・・・」
「まぁ、一旦引き受けた物を放り出すような事はしないさ。特に、槇村の妹である香にたいしてな」
「信用していいんだな?」
「槇村に誓って」
 僚の問いかけに、和斗は真剣な表情で頷いた。
 
 和斗の言葉に安心したのか、僚が部屋を去ろうとした。
 その後ろ姿に、和斗が声をかける。
「なぁ、僚。冴子も第二の人生を歩んだ事だし、そろそろお前も槇村から解放されてもいいんじゃないのか?」
 そんな和斗の言葉に、僚は何とも言えない複雑な表情を浮かべて苦笑するだけだった。